私たちは金の斧と盾を手にして
私は頭がいい男の人が好き。
昔からスポーツができて身長が高い人よりも、小柄で体積が小さくて数学が得意な男の人が好き。それは26歳になった今も変わっていない。俳優だと向井理と成田凌が好き、でも身近にいる高身長イケメンをなぜか恋愛対象として見れた事がない。成田凌が近くにいたら色気で焼き尽くされてしまいそう。いい男の色気で焼き尽くされる終わり方が理想で特に長生きしたいと思った事がない。
「どんなに男遊びしてもいいけど軸はぶれるな!」と恋愛脳のもう一人の自分が右耳からささやいている。軸っていうのは好みのタイプとかではなくて恋愛する時の私のマイルールみたいなもので、それを破るなよっていう戒めだ。
おそらく入社してから最も大きいプロジェクトに参加しているのに数学的な知性が試されていて、やる気が出ない。どうしたらやる気がでんのかな。もう一度私にやる気と恋愛的に幸せになるチャンスをください神様、と3が日に賽を投げた。
その3日後に男の人を紹介されて一度ライン通話して初対面で付き合った。私は私よりモテる男と付き合うのが生まれて初めてかもしれない。もう恋愛で傷ついて仕事に支障をきたしたり泥酔したりそんな歳ではない。この歳の失恋は完治しにくい。治るのに10年くらいかかる怪我みたいなものだ。
恋愛っていうのは、人生をちょっとだけ豊かにする、そこそこ美味しい白米に恣意的に散りばめた「ふりかけ」のようなものだと思う。
究極なくても白米は白米のままで美味しいし、白米のまま食べる方が美味しいと思われるくらいのブランド米もある。そういうラッキーな人生もあると思う。
米は、炊飯器がないと食べることができなくて
それが仕事にあたるのではないだろうか。
炊飯器のように決まった時間に予約して、時には急速白米のボタンを押したりして、お米の世界から現実世界にもどってきたりして、彼氏の家でご飯を炊く事を普通に幸せに感じたりする私がいた。
私はオリンピック周期と同じくらいでしか彼氏ができないタイプの女だった。
久しぶりにちゃんとした彼氏ができて、私のことをよく理解してくれている女の子はとても喜んでくれた。今26歳で例えば1年付き合って別れたら私はまた3年くらい彼氏をつくらないだろう。その頃には31歳とかになっちゃっていて自分自身の市場価値は転職市場、恋愛市場ともにどんなお値段がつけられているのだろう。
彼氏ができて、1つ心残り、というか普通に浮気心があった。
私は嘘をついていても裁判の時は聖書の上に手を置いて「真実のみ述べます」と言えちゃうんだろうな。外の世界では「浮気なんで信じられない!」「不倫なんて最低!」「そいつ去勢した方良くない?」と言っているけれど歳をとればとるほどドロドロした関係性を求めてくる男性がこの世にはたくさんいる。
この世のただ一人を除いて、全ての27歳オーバーの男性はやっかいなドロドロを抱えていると思う。
私はそのただ一人の、ある同僚とすごく仲が良くて何度もサシ飲みをして、引っ越しの手伝いをしてもらったり仕事で助けてもらったりして、人としても恋愛対象としてもこの人を超える人とは絶対に会えないだろうなと思っていた。2021年になるまでは。
2021年の1月に「もう恋愛で苦しみたくない、悪い縁が全て切れて良い縁が回ってきますように」と祈った瞬間彼氏ができた。社会人4年目、初めて初詣で仕事のことを祈らなかった。
この人しかいないというのは嘘でもあり真実でもあるのだと思う。数学が得意で、体積が少なめでいい匂いがする男っていうのは探せば池袋にも生息している。この事実に辿り着くまで1000回くらい夜を超えてきたのではないだろうか。
その同僚のことが今でも人としてすごく好きなんだけどこの思いは一旦凍結してみることにする。今与えられた縁こそが賽銭の対価だったとしたら幸せな未来を信じてみたい。今年も絶対変化のある1年にするとここに誓うよ。